名古屋高等裁判所金沢支部 昭和30年(ネ)249号 判決 1956年10月26日
控訴人 詠喜三郎
被控訴人 高橋勘右衛門
主文
原判決を左の如く変更する。
控訴人は被控訴人に対し、金二十九万九千四百八十六円並にこれに対する昭和二十八年五月十四日以降完済迄、年五分の割合に依る金員を支払わなければならない。
被控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その一を被控訴人、その余を控訴人の各負担とする。
此の判決は、被控訴人勝訴の部分に限り、被控訴人に於て、金十万円又はこれに相当する有価証券を、担保として提供するときは、仮にこれを執行することが出来る。
事実
控訴代理人は「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決並に仮執行の宣言を求めた。
当事者双方の事実上の主張は原判決摘示の事実と同一であるから、此処にこれを引用する。
<証拠省略>
理由
孰れも成立に争のない甲第三、四、五号証、同第十号証、同第十四、十五号証、同第十七号証及び乙第二号証の各記載、原審証人牧元吉、同上田秀綱の各証言、原審における被告本人、当審に於ける控訴本人各尋問の結果を綜合すれば、(一)控訴人は昭和五年頃訴外吉田銀一郎から、金沢市横安江町十六番地宅地二十七坪七合一勺上に建在する木造亜鉛葺平屋建店舗一棟(建坪二十三坪)を賃借し、該建物に居住すると共に、爾来同所に於て、当初は革製品、財布類を、その後は玩具類、文房具、書籍等を、それぞれ販売し来つた者であること、(二)該建物は所謂バラツク建の、比較的簡略な建造物であつて、公簿上一棟の建物として登記されていたが、実際は、(1) 店舗(表通りに面して建てられた建坪九坪の部分)(2) 住宅(店舗の背後に建てられた建坪十数坪の部分)(3) 離れ(住宅の背後に建てられた建坪二坪位の部分)の三部分より成り、これ等の建物は、接続していたものの、各独立の構造を備えたものであつたこと、(三)控訴人は昭和八年頃右建物の一部、敍上(2) の所謂住宅に該当する部分を取払い、その跡地に自己の費用を以て、建坪九坪の住宅を建造したこと、(四)訴外吉田銀一郎は昭和十九年十一月八日頃被控訴人との間に、「前掲宅地並に該地上に建在する木造亜鉛葺平家建店舗一棟建坪二十三坪を被控訴人に売却する。」旨の売買契約を締約し、その頃これが所有権移転登記手続を経由したこと、(五)被控訴人は右訴外人から、建造物の所有権帰属について、何等具体的な事を聞いて居らず、従つて単純に、敍上宅地に建在する一切の建物の所有者は、吉田銀一郎であるとのみ考え、前敍のような合意を取結んだものであつたこと、(六)控訴人は昭和二十四年頃前示建物の一部、敍上(3) の所謂離れに該当する部分を取払い、その跡地に自己の費用を以て、六畳の離れ座敷を建築し、賃貸借終了の際、これを収去することを条件に被控訴人の事後承認を得ることが出来たこと、(七)控訴人は敍上(1) の建物を引続き現在迄、(2) (3) の建物を昭和二十八年五月十三日迄、各占有し、同所に於て冒頭掲記の如く、営業に従事して来たものであつたこと等の諸事実を肯認することが出来る。ところで、前記(1) の建物に対する控訴人の占有が被控訴人との間の賃貸借関係に基くものであること、並に昭和二十八年五月十三日控訴人方離れ六畳の間(敍上(3) の建物)より出火し、該建物を焼燬した上、近隣に相当の被害を与えたことは当事者間に争がなく、よつて、火災発生の原因を探求する前提として、先ず、該火災発生当時に於ける発火点附近の状況如何を観察するに、孰れも成立に争のない甲第十二乃至第十五号証の各記載、原審並に当審証人詠三郎、同詠美津枝、同詠久子の各証言、被告本人並に控訴本人の各供述に徴すれば、右出火の場所、すなわち控訴人方離れ六畳の間は、当時、訴外詠三郎及びその妻美津枝の居室であると同時に、右三郎等の仕事場としても使用されて居り、引火し易い花火線香、セルロイド製品、木製品、紙製品、ブリキ製品の各玩具が四囲に雑然と置いてある中に、布団が敷かれ、幼児(生後五個月、本件出火により死亡)が寝て居り、その傍で右三郎等は、商品の整理、正札の添付、修理等の業務に従事していた状況であり、引火し易い危険物が相当多量に存在するにも拘らず、此の離れ六畳の間には、可燃物に対する引火を防止し、火災の発生を予防するに足るような、何等特別の設備がなかつたことを認め得べく、次に火災発生の原因如何を探求するに、孰れも成立に争のない甲第十号証、同第十三乃至第十五号証の各記載、原審並に当審証人詠三郎、同詠美津枝、同詠久子の各証言、被告本人並に控訴本人の各供述を綜合するときは、控訴人方の所謂家族従業員である訴外詠三郎(控訴人の三男)が敍上の離れ六畳の間に於て、商品の整理に従事中喫煙し、吸い掛けの巻煙草を畳の上に置いてあつた煙草盆の椽に置き、同室東側の板壁に取付けてあつた二段の棚の下段に、ブリキ製玩具を入れたボール箱を載せた拍子に、棚又は棚の上の箱に何等かの衝撃を与えたため、棚の上段に載せてあつたセルロイド製がらがらまり(直径一寸五分位のもの)二打入りのボール箱が、右煙草盆の上に落ち、中のまりが箱の外に転り出て、そのうち一、二個が吸い掛けの煙草火に接触引火し、たちまち附近に置いてあつた花火及びセルロイド製品に燃移り、さらに建物に移火して、遂に大事を惹起するに至つたものであつたことを看取し得べく、さらに右火災より生じた被害の範囲如何を審案するに孰れも成立に争のない甲第八乃至第十一号証の各記載、原審証人高多勝二(第一、二回)の証言、被告本人並に控訴本人の各供述を綜合するときは、敍上の火災に因り、金沢市横安江町十六番地宅地二十七坪七合一勺上に建在する建物中、店舗九坪(前記(1) の建物)を除く爾余の建造物は悉く烏有に帰し、火勢はなおこれに隣接する同市同町十四番地上の、いずれも被控訴人の所有に係る木造二階建作業場及び土蔵の各屋根に延焼し、右作業場の二階にあつた被控訴人所有の鯖網中古品二十五把、鰺網中古品五十把、鰯網中古品八把を各焼燬した外、近隣の前田慶之助、浅野平八方の建物及び商品に相当の被害を与えたことを認めるに足る。被控訴代理人は、「前記の火災は控訴人方の家族従業員である訴外詠三郎の業務上の重過失より発生したものであり、従つて事業主である控訴人に於て、右失火に基いて蒙つた被控訴人の損害を賠償すべき義務がある。」旨主張するので、その当否を案ずるに、凡そセルロイド製品、火災製品のような可燃性物件で引火の危険性の極めて強度なるものを相当多量に格納し、且、引火を防止するに足るような特別の設備のない狭隘な室内に於ては、これ等の製品を取扱う従業員たる者は、すべからく火気の処理について周倒な注意を払い、喫煙その他みだりに火気を発生せしめる行為を為すべからざるは勿論、製品に引火の危険性ある一切の行為を慎しむべき業務上の注意義務を負うものたること、敢て此処に説明する迄もない。然るに前認定に依れば、訴外詠三郎は、セルロイド製品、火薬製品が相当多量に格納されて居り、引火を防止するような特別の設備のない、しかもかなり狭隘な控訴人方離れ六畳の間で、引火の防止に何等の考慮を払うことなく漫然と喫煙し、火の附いたままの煙草を、セルロイド製品の置いてある棚の下の畳の上にあつた煙草盆の椽に載せて放置したまま、棚上の玩具の整理に従事し、棚上のセルロイド玩具を、煙草火の上に落下引火せしめた為、前記のような火災を惹起するに至らしめたものであつて、同訴外人の斯る行為は、その業務上の注意義務に、著しく背反するものであると言わざるを得ず、従つて、また同訴外人の過失は、所謂重過失に該当するものと認めざるを得ない。「訴外詠三郎が棚上に物品を載せた際、その棚が揺れたか、揺れなかつたか。」と言うような点は、右認定を毫も左右するものではない。そうしてみれば失火者である従業員詠三郎の選任並に監督につき、事業主である控訴人に於て、相当の注意をしたか否かの点及び相当の注意を為すも、なお、損害が発生すべきものであつたか否かの点等に関し、控訴人より何等の主張並に立証の認められない本件に於ては(却つて敍上挙示の各証拠を綜合すれば、控訴人は事業主として、可燃性商品の管理、保存、従業員の監督等に相当の注意を払わなかつたこと、若し同人に於て相当の注意を払つたならば、火災の発生を未然防止し得たであろうことを看取するに十分である。)控訴人は被控訴人に対し、従業員である訴外詠三郎の、前記重過失に基く失火によつて原告に対して加えた損害につき、右訴外人の使用者として、損害賠償の責任を免れることが出来ないと言わねばならぬ。仍て進んで賠償すべき損害の額如何を考察するに、前認定の諸事実に、孰れも成立に争のない甲第一号証、乙第一号証の各記載、原審証人高多勝二(第一、二回)の証言を綜合すると、前示の火災によつて被控訴人の蒙つた損害は(1) 金沢市横安江町十四番地所在作業場土蔵の各屋根合計三十坪分の焼失による損害合計時価三十七万五千円相当(2) 右作業場の二階に格納してあつた鯖網(一年使用)二十五把の焼失による損害二十一万七千円、同じく、鰺網(二年使用)五十把の焼失による損害八万円、鰯網(二年使用)八把の燃失による損害二万五千六百円、右損害合計時価三十二万二千六百円相当、以上(1) (2) 総計金六十九万七千六百円の損害となることを肯定せざるを得ない。被控訴代理人は本件宅地上の建物中、焼失を免れた前掲(1) の店舗(建坪九坪)を除き、その余の焼失した建物の価額を、損害額中に計上し、その賠償を請求しているけれども、前記宅地上に昭和二十八年五月十三日当時建在していた諸建物は、被控訴人の所有に係ること当事者間に争のない前敍(1) の店舗(建坪九坪)を除けば、既に認定した事実によつて優にこれを認め得るように(既存建造物の取払いをめぐる権利義務の関係は暫くさておき、問題を建物所有権の帰属に局限するかぎり)全部建造者たる控訴人の所有であると認定せざるを得ないから、被控訴人の右主張は採用するを得ない。本件火災によつて被控訴人の蒙つた損害は、以上の如くであるが、他方、該火災によつて被控訴人が享受した利得があるならば、これを右損害額より控除しなければならないことは言う迄もなく、被控訴人が右火災により、住友海上火災保険株式会社から、火災保険金として金十七万八千九百十三円余の損害補填を受けたことは、その自認するところであり、また成立に争のない乙第一号証の記載並に前掲高多勝二証人の証言に依れば右災害がなかつた場合、被控訴人の昭和二十八年度の課税所得額は百五万千四百円と査定され、税額は四十一万五千二百円となるべきところ、敍上の火災が発生したため、被控訴人の同年度の課税所得額は、災害による損失の一部をこれより控除された結果、五十七万三千三百円と査定され、税額十九万六千円を納入したに止まり、災害がなかつた場合に比し、差引き金二十一万九千二百円の利益を得たことを認め得る。敍上の損害額から、これ等の利得額を差引くとき、その残額は金二十九万九千四百八十六円余となることが、算数上明白であるから、控訴人は被控訴人に対し該金額に相当する金員並にこれに対する損害発生の日の翌日である昭和二十八年五月十四日以降完済に至る迄、民事法定利率である年五分の割合に依る遅延損害金を支払う義務があると言わなければならない。そこで被控訴人の本訴請求は、敍上の限度に於てのみ、その理由ありとしてこれを許容し、その余はその理由がないからこれを棄却すべく、これと一部符合しないところのある原判決は、これを変更するを相当と認め、訴訟費用について民事訴訟法第九十六条、第八十九条、第九十二条、仮執行宣言について同法第百九十六条を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 成智寿朗 沢田哲夫 木村直行)